【清原翔くんの今】4年間の沈黙を破る「笑顔とヒゲ」が教えてくれる、涙と奇跡の復活物語
こんにちは、グランパです。
今日は、少し長くなりますが、どうしても皆さんと分かち合いたい、ある一人の青年の「再生」のお話をさせてください。
温かいお茶でも淹れて、ゆっくりしていってくださいね。
季節の変わり目、ふとテレビを見ながら、「あの子、どうしているかなぁ」と思い出すことはありませんか?
NHKの連続テレビ小説『なつぞら』。広瀬すずさん演じるヒロインを、不器用ながらも懸命に支えた義理のお兄ちゃん、照男(てるお)。
そう、俳優の清原翔(きよはら しょう)くんのことです。
2020年6月。当時27歳という、まさにこれからという若さで突然倒れ、表舞台から姿を消してしまった彼。「脳出血」という重い病気のニュースが流れた時の衝撃は、今でも忘れられません。私たち親世代にとっては、自分の息子や孫のことのように胸が締め付けられる思いでしたよね。
「あんなに素敵な子が、どうして…」
そんな風に嘆いた夜もあったかもしれません。
あれから4年以上の月日が流れました。あまりに長い沈黙に、「もう戻ってこれないんじゃないか」と不安を感じていた方も多いでしょう。
でも、安心してください。
いま、清原くんは、私たちの想像をはるかに超える「強さ」と「穏やかさ」を携えて、第2の人生を歩み始めています。
今日は、最近公開された彼の元気な姿や、彼を支え続けた家族、そして涙なしには語れない「熱い友情の物語」について、ゆっくりと、時間をかけてお話ししていきますね。
1. 4年間の沈黙を破って…「30オーバーでヒゲ解禁」の衝撃
これまでは事務所からの短い報告があるだけで、彼の本当の様子はベールに包まれていました。しかし、2024年から2025年にかけて、まるで雪解け水が川になるように、彼の時間は再び動き出したのです。
一番の驚き、そして喜びは、なんといっても久しぶりに公開された「顔出し写真」でしたね。
2024年5月。約4年ぶりに彼が見せてくれたその顔は、かつての「爽やかな好青年」のイメージとは少し違っていました。口元にはワイルドなヒゲを蓄え、少し痩せたけれど、その瞳にはしっかりとした「意志」の光が宿っていたのです。
そんなお茶目なコメントと共に投稿されたその写真を見て、私はハッとさせられました。普通なら、病気で変わってしまった姿を見せるのは怖いものです。特に、容姿が注目される俳優さんなら尚更でしょう。
でも彼は、隠しませんでした。
「これが、30代になった今の僕です」
そう言わんばかりに、ありのままの自分を堂々と見せてくれたのです。
この「ヒゲ」は、単なるファッションではありません。闘病生活という過酷な時間を経て、かつての「清廉潔白なアイドル的なイメージ」から脱皮し、酸いも甘いも噛み分けた「大人の男性」へと進化した証(あかし)のように思えてなりません。
ファンの方々からも「きよたんスマイル、おかえり!」「ヒゲも似合ってるよ!」という温かい声がたくさん届いたそうです。
自分の今の姿を愛し、肯定する。この「自己受容」の精神こそが、彼のリハビリが順調に進んでいる何よりの証拠だと、私は確信しています。
2. 車椅子で見た「花火」の輝き
さらに嬉しかったのは、夏に投稿された写真です。そこには、車椅子に乗って、友人たちと夜の花火大会を楽しむ清原くんの姿がありました。
車椅子での移動は、私たちが思う以上に大変なことです。段差はあるし、人混みは怖いし、トイレの心配もある。長い時間座っているだけでも、体幹(体の中心の筋肉)がしっかりしていないと疲れてしまいます。
でも、彼は外に出ました。
病院の白い天井ではなく、夜空に咲く大輪の花火を見上げたのです。
美しいものを「美しい」と感じる感性
仲間と笑い合うコミュニケーション能力
これらがしっかりと回復しているからこそ、実現できた「外出」なんですね。
「車椅子だから不自由だ」と嘆くのではなく、「車椅子を使えば、どこへでも行ける」と活動の幅を広げている。その前向きな姿勢に、私たちの方が勇気をもらってしまいますね。
3. そもそも「感染性心内膜炎」とはどんな病気だったのか
ここで少しだけ、彼が闘ってきた病気について、知っておきましょう。彼を襲ったのは「感染性心内膜炎(かんせんせいしんないまくえん)」による脳出血でした。
難しい名前ですよね。お医者様の言葉を借りずに説明すると、こんな病気です。
私たちの口の中(虫歯など)や、皮膚の小さな傷から、目に見えないバイ菌が血液に入り込んでしまうことがあります。普通なら体の免疫がやっつけてくれるのですが、運悪くその菌が心臓の「弁」という場所に巣食ってしまい、そこで菌の塊(かたまり)を作ってしまうのです。
そして、一番恐ろしいのはここからです。その塊が何かの拍子に剥がれ落ちて、血流に乗って頭(脳)まで飛んでいってしまった。それが脳の血管を詰まらせたり、破裂させたりしてしまったのです。
通常は、心臓に持病がある方や、ご高齢の方に多い病気です。当時27歳、健康そのものに見えた彼が発症したのは、本当に、本当に稀なケースでした。
発症した2020年6月12日。何度もの緊急手術が行われました。「予断を許さない」という言葉がニュースで流れるたび、私たちは祈るしかありませんでした。
2021年に「脳に関しては異常なし」と発表されましたが、これは「命に関わる危険は脱した」という意味であって、魔法のように元通りになったわけではありません。
彼自身も、後にそう振り返っています。手足が動かない麻痺、言葉が出にくいもどかしさ。私たちが想像するよりもずっと、暗くて長いトンネルを、彼は必死に、一歩ずつ歩いてきたのですね。
4. 復活の鍵は「理系脳」と「スポーツ一家の絆」
では、なぜ彼は心が折れることなく、ここまで回復できたのでしょうか?その秘密は、彼の「育ち」と「隠れた才能」にあると私は睨んでいます。
実は清原くん、ただのイケメン俳優ではありません。明治大学 理工学部 電気電子生命学科を卒業している、バリバリの「理系男子」なんです。
「親に勧められて、就職率が良いから選んだ」なんて学生時代は笑って言っていましたが、この「論理的に物事を考える力」が、今のリハビリに大いに役立っているはずです。
リハビリというのは、地味で辛い作業の繰り返しです。感情的になって「なんで動かないんだ!」と嘆いていては、続きません。
きっと彼は、理系の頭脳をフル回転させているはずです。
「昨日はここまで出来たから、今日は角度を変えてみよう」
そうやって、自分の体を実験室のように分析し、冷静に向き合っているのではないでしょうか。
そしてもう一つ。彼は生粋の「スポーツ一家」の次男坊です。お父様は地元野球クラブの監督。お兄さんも野球少年。清原くん自身も高校(神奈川県立大磯高校)までバレーボールに打ち込んでいました。
厳しい監督(お父さん)のもとで培った、「諦めない心」と「チームを信じる力」。
このスポーツマンシップが、終わりが見えない闘病生活において、最強の武器になっているんです。
「勉強も部活も、最後までやり遂げる」という彼の真面目さが、今、彼自身の人生を救っているんですね。ご両親の教育は、本当に素晴らしかったんだなと、改めて感じ入ります。
5. 涙なしには語れない…親友・成田凌との「男の約束」
そして何より、清原くんを支えているのが、『MEN’S NON-NO』時代からのモデル仲間たちです。彼らの友情の話をすると、私のような年寄りでも目頭が熱くなってしまいます。
特に、俳優の成田凌(なりた りょう)くんとの絆は特別です。二人は唯一の「同期」。ライバルであり、親友です。
清原くんが倒れた時、彼は石原さとみさん主演のドラマ『アンサング・シンデレラ』の撮影中でした。重要な役柄です。撮影はストップし、代役を立てなければならない。
誰がその役を引き継いだか、覚えていますか?
そう、成田凌くんでした。
成田くんはそう言って、清原くんが演じるはずだった役を引き受けました。
これ、俳優としてはものすごいプレッシャーだったはずです。友人が倒れたショックの中で、友人の代わりを務める。比較もされるでしょう。
でも、彼は演じきった。「あいつの居場所は、俺が守る」という、言葉以上のメッセージです。
成田くんが活躍し続けることは、清原くんにとって「必ず戻るべき場所がある」という、何よりの希望の光なんですね。
そして今も、成田くんや、モデル仲間の守屋光治(もりや こうじ)くんたちは、頻繁に清原くんのもとを訪れています。
Instagramの写真を見てください。彼らが清原くんの頭にポンと手を置いたり、車椅子を押したりしている姿が、本当に自然なんです。
「可哀想だから見舞いに行ってやる」という上から目線なんて微塵もありません。
「最近どうよ?」
そんな、学生時代の部室のような空気が流れています。
社会から取り残されたような孤独感を感じやすい療養生活の中で、この「変わらない仲間」の存在が、どれほど清原くんの心を救ったことでしょう。
男の友情って、本当にいいものですねぇ。
6. グランパから、あなたへ伝えたいこと
2025年2月、彼は32歳の誕生日を迎えました。多くの人に祝われ、笑顔を見せる彼は、もう「かわいそうな病人」ではありません。
死の淵から生還し、困難を乗り越え、ひと回りもふた回りも大きく成長した、一人の魅力的な表現者です。
40代〜60代の私たち読者も、人生いろいろありますよね。親の介護が始まったり、自分自身の健康に不安が出てきたり。「まさか自分が」という出来事に直面し、「もう歳だから」「今さら新しいことはできない」なんて思う日もあるかもしれません。
でも、清原くんを見てください。
あんなに大変な状況から、新しい自分(ヒゲの似合う自分!)を見つけ、車椅子で外の世界に飛び出しています。
「どんな状況でも、楽しみを見つけることができる」
彼の姿は、私たちにそんな、静かだけれど力強い勇気をくれています。
これからは、俳優としての本格復帰はもちろんですが、その知性を活かして「書く仕事」や「声の仕事」、あるいは彼にしかできない表現で、私たちを楽しませてくれる日がきっと来ます。
その時、「おかえり、照男兄ちゃん!」と一番大きな声で言えるように、私たちも元気でいなくちゃいけませんね。
さあ、彼の物語はまだ「第2章」の始まり。
これからも一緒に、この優しくて強い青年の背中を、そっと、でも全力で応援していきましょう。
